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2016年1月4日(月)21:00~22:24 世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~では、微笑みの国・タイで警察官として活躍している75歳の日本人男性が取り上げられます。
出典:jaas.or.jp
知る人ぞ知る、この方のお名前は戸島國雄〔とじま・くにお〕さん。
現在の日本警察では当たり前に実施されている似顔絵捜査ですが、そのきっかけをつくったのは「似顔絵のトンちゃん」こと戸島國雄さんでした。
戸島さんはタイの科学捜査の発展に尽力された方なんですが、タイに赴くまでは、警視庁の鑑識課に36年も在籍していらっしゃったそうです。
この記事では、戸島さんのプロフィールや経歴、引退後も異国の地・タイで警察官として勤務している理由などに迫ります!
ちなみに戸島國雄さんは、警視総監賞36回の軌跡と題して、2012年10月19日の金スマ(中居正広の金曜日のスマたちへ)の「気になる男シリーズ」で紹介されたこともあるんですよ♪
海外で活躍する日本人はたくさんいます。併せて読んでみてくださいね!
◆現代アーティスト 小松 美羽さん
◆エボラ患者の治療に尽力した 大滝 潤子さん
◆海外の大規模工事の安全性を劇的に向上させた 阿部 玲子さん
◆「人生がときめく片付けの魔法」著者 近藤 麻理恵(こんまり)さん〔1〕
◆「人生がときめく片付けの魔法」著者 近藤 麻理恵(こんまり)さん〔2〕
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戸島國雄さんのプロフィール
【名前】戸島 國雄〔とじま・くにお〕
【愛称】似顔絵のトンちゃん
【生年月日】1941(昭和16)年1月1日
【年齢】75歳(執筆時)
【柔道】講道館 6段
戸島國雄さんの経歴
◆1960(昭和35)年 19歳で自衛隊に入隊
習志野第一空挺〔てい〕団(24期)に配属
◆1965(昭和40)年 警視庁 巡査を拝命
蒲田署に勤務
◆1967(昭和42)年6月27日 警官になる
中学生時代に冤〔えん〕罪に苦しめられた経験から、警官を志したのだそうです。
テレビドラマ「七人の刑事」の影響も大きかった、と話しておられました。
◆1970(昭和45)年 警視庁 刑事部 鑑識課で現場写真係を担当
【主な担当事件】
1970年 三島由紀夫割腹事件
1974年 三菱重工爆破事件
1982年 ホテル・ニュージャパン火災
1982年 羽田沖 日航機墜落事件
1985年 御巣鷹山 日航123便 墜落事故
1989年 宮崎 勤事件
1995年 オウム真理教事件 など
◆1976(昭和51)年1月 初めて似顔絵を描き捜査に利用
犯人の人相を何度も聞かれ困惑していた被害者への配慮からだったんだそうです。
モンタージュ写真が主流だった当時、似顔絵は歯牙にもかけてもらえませんでした。
ところが戸島さんは、作成に時間がかかりすぎるモンタージュ写真に疑問を持ちます。
記憶が鮮明なうちに犯人の特徴を聴き出して作成できる似顔絵のほうが効果的だと信じ、描き続けました。
これを続けていくうち犯人の検挙につながるケースが増えてきて、有効な手法として確立したのです。
戸島さんがたった一人で初めてコツコツと続けてきた似顔絵捜査が、21年目にやっと陽の目を見たんですね。
戸島さんが似顔絵捜査を始めたのは、時効を迎えた3億円事件の悔しさがきっかけだったそうです。
◆1994(平成6)年3月 54歳のとき最愛の妻を白血病で亡くす
奥様は生前、看護師長をしておられました。
戸島さんが激務をこなすかたわらで、体の変調を隠し、ひとり病魔と闘っていたという、芯の強い素晴らしい方です。
◆1995(平成7)年3月 警察庁海外派遣の試験を受験し、合格
◆同年11月 タイ内務省警察局(現在のタイ警察庁)へ赴任
JICA専門家として事件現場の第一線に立ち、鑑識技術の指導に当たる
当初の任期は2年だったが、タイ政府と国家警察局の要請により1年延長
タイ語による犯罪鑑識の教科書も執筆した
このとき、フィリピンへも2名が派遣されています。
戸島さんは、自ら撮影したタイの事件・事故の現場写真を教材化、鑑識技術の教科書を執筆されました。
この教科書は、タイ国ポリスアカデミーで現在も使用されているそうです。
※ タイ語で “Photographic Guide Forensics” と書いてあります。
Photographic = 写真の
Forensics = 鑑識・科学捜査
ちなみに、この派遣への応募の動機・理由は・・・
奥様と過ごした家に一人で居ることのつらさから逃れるため
新天地でもう一度 自分の可能性を試してみたかった
ということでした。
◆1998(平成10)年 帰国
◆同年 警視庁似顔絵捜査官が設立される
◆2000(平成12)年 似顔絵専門捜査官 第1号に任命される
出典:zakzak.co.jp
現在、警視庁には300名ほどの似顔絵捜査員がいるんだとか。
この普及スピードには、戸島さんご本人もいささか驚いていらっしゃるようです(笑)
◆2001(平成13)年 警視庁を定年退職
◆2002(平成14)年3月 JICAシニア海外ボランティアとしてタイへ赴任
タイ警察からの強い要請により再びタイへ渡ります。
このときの任期は5年。
タイ国家警察のNo.3である「大佐」の階級を与えられました。
◆2004(平成16)年12月26日に発生したスマトラ沖地震によるインド洋大津波では身元確認に従事
翌日、10名の部下を率いて最初に最も被害の大きかったバンガー県の被災地に入ります。
そして、3か月にわたり被災者の指紋照合による身元確認に当たりました。
この津波被害では、4,000人分もの指紋を採取したのだそうです。
被災地周辺には宿泊施設がなく、寺院の軒下で寝泊まりしながらの捜査でした。
ちなみに、この指紋照合が成功したのには、タイの文化のおかげでもあるようです。
タイではIDカードの所持・携帯が義務づけられているそうなんですが、このカードの作成時、指紋を取るんだそうです。
日本にはまだない文化ですね。
◆2008(平成20)年9月 第5回JICA理事長表彰を受賞
JICAシニア海外ボランティアとしてタイ派遣中のことだった
◆2011(平成23)年7月 現役を引退して帰国
もうタイ警察には戻らないのか?という問いに、戸島さんは、「さすがにもう元気がない」と答えています。
お疲れさまでした、と言って差し上げたいですね *^_^*
◆同年11月 瑞宝単光章〔ずいほうたんこうしょう〕受賞
出典:内閣府HP
この勲章は、国家または公共に対して功労のある方に送られます。
戸島さんは長きにわたり公務に従事し、功績を挙げたことが評価されての受賞です。
◆2012(平成24)年4月 警察庁長官賞を受賞
* 警視総監賞・部長賞など107回もの受賞歴を持つ
* 大変な努力家で、休日・非番を利用し、2年もの間、ホームレスに紛れ身分を隠して上野公園に通い続け、似顔絵師から似顔絵を学んだ
* これまでに1,000枚近い似顔絵を作成してきた
* 横顔しか映っていない防犯カメラの映像から似顔絵を作成し、難事件を解決に導いたこともある
* 1994年2月には、4歳の幼女の証言により作成した似顔絵から事件解決に至った
戸島國雄さんの著書
タイに渡った鑑識捜査官~妻がくれた第二の人生~
出典:amazon.co.jp
2011(平成23)年9月10日(並木書房)
生のカニを食べてあたり、緊急手術を受けた失敗談なども書かれているようです(笑)
いや、当時のご本人にしてみれば、笑い事ではなかったでしょうが・・・m(__)m
この本には、人と人のコミュニケーションの大切さが書かれています。
なぜ鑑識技術の話からコミュニケーション??? と、不思議に思うかもしれませんね。
ですが、言葉も文化も違う国へ、それもたった1人で、ただでさえ難しい鑑識技術を伝授しに行ったわけですから、その極限状態と彼の心境を想像してみると・・・解る気がします。
出典:nikkan-spa.jp
高い教壇の上から教えてやるという姿勢ではダメだ。
そう思った戸島さんがまず実践したことは引っ越しでした。
JICAが与えてくれた高級マンションを出て、一般的なタイ人が住む安アパートに引っ越したのだそうです。
そして、若い警察官たちとの信頼関係を構築すべく、現地の言葉を懸命に覚え、事件の捜査の帰りには一緒に屋台に寄り、同じ皿のものを食べ、コミュニケーションを図ったそうです。
この努力が実り、現地の警察官との信頼関係を構築した戸島さん、赴任中にはたびたび冠婚葬祭に呼ばれ、結婚式の仲人まで頼まれたそうです(笑)
この方の姿勢からは、真の国際協力とは何か、ということを感じることができます。
「協力」とは決して一方的なものではなく、「心と心のふれあい」が基幹にあるのだと戸島さんは語っておられました。
ところで、当時のタイ警察には「現場保存」という考え方は全くなく、警察が到着するころには既に野次馬やマスコミに現場は荒らされていたそうです。
日本では基本とされているポリスライン(規制線)なども、タイでは行われていなかったということですよ。
そのような国は他にもまだまだ存在するのかもしれませんが・・・(-“-)
出典:amazon.co.jp
ちなみに、関係者以外の現場への立ち入りを規制するこのポリスラインを開発したのも戸島國雄さんなんですって!
この功績を称えて授与されたのが1993年の警視総監賞。
戸島さんがタイ警察にこの考え方を浸透させたため、現在ではタイ警察でも当たり前に使用されていますが、タイ赴任当初は日本から個人的に取り寄せておられたそうですよ。
戸島さんは著書の中でタイ人の気質について触れており、そこが最も印象的でした。
◆信仰心があつい
◆優しく、思いやりにあふれている
◆モノを大切にする
◆愛国心を持っている
◆勤勉である
こういったところが、今の日本人が忘れかけている「古き良き日本」を思い出させてくれる、と戸島さんはこの本の中で語っておられます。
■レビュー■
この方のプロ意識と探究心は素晴らしいと思った。
と同時に、タイ警察の現場保存に対する意識の低さに驚いた。
事件現場に野次馬が土足で入り込む、警察が手袋を着用していないなど、日本では考えられないことばかりだった。
戸島さんの並々ならぬ努力に頭が下がる。
■レビュー■
現地では、数か月に1回、鑑識セミナーを実施するだけの責務だった。
しかし戸島さんは、現場に飛び込み、タイの現状を把握することから始めた。
「教える側が偉い」「教えてやる」という考え方を捨て、現地の鑑識捜査官たちと共に現場へ出向いた。
共に汗を流し、コミュニケーションを図ることが必要だと感じたからだった。
コミュニケーションの大切さが学べる1冊だという評価の意味が解った。
警視庁似顔絵捜査官001号
出典:amazon.co.jp
2012(平成24)年2月23日(並木書房)
■レビュー■
日本の緻密な技術は海外からたびたび称賛される。
その技術は、自らの技術を過信せず、たゆまず磨き続ける、各現場の下士官クラスが支えているのだということを あらためて感じた。
■レビュー■
似顔絵から逮捕につながる可能性はとても高いのですね。
ドラマの中だけの話ではなく、現実であることを初めて知って、驚きました。
海外で活躍する日本人の記事一覧
◆現代アーティスト 小松 美羽さん
◆エボラ患者の治療に尽力した 大滝 潤子さん
◆海外の大規模工事の安全性を劇的に向上させた 阿部 玲子さん
◆「人生がときめく片付けの魔法」著者 近藤 麻理恵(こんまり)さん〔1〕
◆「人生がときめく片付けの魔法」著者 近藤 麻理恵(こんまり)さん〔2〕
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ドラマ化
戸島さんの体験談はドラマ化され、2012年3月11日に「ドキュメンタリードラマ・似顔絵捜査官001号」としてNHKのBSプレミアムで放送されました。
このとき戸島さんを演じたのは、お笑いコンビカンニングの竹山隆範さんでした。
出典:sunmusic.org
竹山隆範さんのプロフィール
◆名前:たけやまたかのり
◆生年月日:1971年4月2日
◆血液型:O型
◆出身地:福岡県福岡市
◆所属事務所:サンミュージック
こちらの事務所には、「ゲッツ!」でおなじみのダンディ坂野さんや、ネガティブ芸人ヒロシさん、最近ネタ切れ気味の小島よしおさん、今ではすっかり姿を見なくなってしまった髭男爵さん等が所属しておられますね。
なぜ歌手でもないのに「ミュージック」?! って思ったのは私だけでしょうか?(笑)
竹山さんの演技力がハンパない
私はこのドラマを見ていないんですが、あまりにも評価が高かったので、抜粋して紹介させていただきますね。
■レビュー■
彼は間違いなく役者で食べていけると思う。
■レビュー■
後半、被害に遭った4歳の女の子の証言で、犯人の似顔絵を描く、というくだり。
事件のトラウマで心を閉ざしてしまっている少女と気持ちを通わせるため、竹山さん演じる戸島さんが少女と一緒に折り紙を折ったり、トトロの絵を描いたりするシーンがあった。
戸島さんは「トトロ」を知らず、少女の「証言」により似顔絵捜査の手法を駆使してトトロを描いていく。
戸島さんの努力により少女は心を開き、犯人の似顔絵を描くに至るのだが、このやり取りが驚くほど見事だった。
カンニング竹山さんの相方でツッコミ担当だった中島忠幸さんが2006年冬、急性リンパ性白血病で亡くなりましたね。
このことから、大切なパートナーであり生涯の伴侶であった妻を白血病で亡くした戸島さんの役に抜擢されたのではないかと個人的に考えています。
竹山さんの演技力には定評がありましたしね。
出典:blog.seesaa.jp
お笑いコンビ「カンニング」としての竹山さんのキレ芸は全く面白くなく、嫌いというより軽蔑していました。
でも、中島さんが亡くなった後、一人になっても「カンニング」の名前のまま活動している姿や、相方・中島さんへの思いを語る竹山さんを見て、180℃イメージが変わりました。
キレ芸には深~い理由といきさつがあったことも知りました。
竹山さんの優しさとお二人の絆にはジーンと来ます。
さらに、実はウィットに富んでいて、しゃべりも上手いし物知りだし、とても温かい人柄だということも分かり、大好きになりました。
これからも、中島さんの分も元気で頑張っていただきたいです *^_^*
この番組で取り上げられたことをキッカケに、ドラマが再放送されるといいな・・・って心から思っています。
謎の言葉「マイペンライ」
出典:thaisbaby.com
戸島さんが著書の中で述べられているタイ語に「マイペンライ〔ไม่เป็นไร〕」という言葉があります。
Google翻訳などで翻訳すると、日本語で「気にするな」、英語では “Never mind.” とか “Don’t mind.” 。
日本では、例えばサッカーでシュートを決められてしまったときなど、ゴールキーパーに対して「ドンマイ!」なんて声をかけたりします。
「問題ないよ!」「大丈夫!」「気にしないで!」といった意味合いで使われる言葉なんですって。
「マイペンライ〔ไม่เปนไร〕」は、「サワディーカップ〔สวัดีครับ〕」「コップンカップ〔ขอบคุณ ครับ〕※男性が使う」「コップンカー〔ขอบคุณ ค่ะ〕※女性が使う」などと同じくらい有名で、タイ人の気質を理解する上で、とても重要な言葉なんだそうです。
※ ちなみに、「マイペンライ〔ไม่เปนไร〕」も、後に「カップ〔ครับ〕※男性」「カー〔ค่ะ〕※女性」を付けて用いると丁寧な言い回しになるそうです。
「どうにかなるでしょ♪」「何とかなるなる!」みたいな楽天的な感じで使われることもあるし、「どういたしまして」という意味でも使われる、割と幅の広い言葉なんですね。
出典:thaisbaby.com
ただ、注意しなければならないのが、タイの人が怒った顔で「マイペンライ」って言うときなんだそうです。
これは、「アタタタタタタタ、終わったぁぁぁ~~~(by 神谷 明さん)」みたいな意味なんだそうですよ。
出典:jin115.com
「マイ」は ”don’t” や ”never” に当たる否定の言葉ですから、このときの「マイペンライ」は「大丈夫じゃない」ということになるわけでしょうね(笑)
いや、この状況はタイの方にとっては笑い事じゃないのかもしれませんね (^_^;)
それから、特筆すべきは、楽天的な意味や、終わった・・・という意味だけではない、ということだそうです。
「マイペンライ」は、「誰かが何とかしてくれる」とか「なるようになるさ」という投げやりな意味合いではなく、「心配するな。今できることをやろう。俺たちならうまく切り抜けられるさ」という、とても前向きな意味を込めて使われることもあるんですって。
悲観的、ネガティブになることなく、懸命に生きているタイ人の中に、戸島さんの言う「古き良き日本」に通じるものがあるんだな・・・と思いました *^_^*
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◆「人生がときめく片付けの魔法」著者 近藤 麻理恵(こんまり)さん〔2〕
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本日も最後までお読みいただきありがとうございました *^_^*♪
ちなみに、「アスキー」というキーワードで出てくる戸島國雄さんは株式会社インプレスジャパンの取締役で、全くの別人です。
出典:weekly.ascii.jp